始めがあれば終わりがある。街道の女王と呼ばれるアッピア旧街道にも終点が。
長靴の姿のイタリア半島のかかとあたり、プーリア州の港町、ブリンディシ。
東方諸国との交易の起点として紀元前244年にローマ帝国の
属州となった。
<階段状の広場を下ると港が。>
キケロやホラティウスも滞在している。詩人ウェルギリウスはこの地で没している。
トライアヌス帝の時代にはカンパーニャ州のベネヴェントから分岐して
ほぼアドリア海沿いのトライアヌス街道がブリンディシに敷かれた。
この時に記念碑として建造されたのが二本の柱。
アッピア街道の終点を記念した二本の柱は海を見下ろすかのように建っている。
二本と言っても一方は短い。1500年代に突然崩れ落ちたそうだ。
その後、断片は一世紀も放置されていたが、
1600年代にペストから救済を願いレッチェに寄贈されたらしい。
それでもブリンディシの市章は二本の柱がデザインされている。
この広場に続く道はコロンネ(二本の柱)通りという。
アッピア街道というと、ブリンディシ市街を囲む門のひとつ、
ポルタ・メザーニェで終わっている。