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ローマ発祥の地、パラティーノ 記事数: 0
パラティーノ丘
ローマ建国の伝説はここから始まりました。ローマ7つの丘のひとつです。
雌狼に育てられたという双子の兄弟ロムルスとレムス。
この二人が育ったといわれている小屋はこの辺りにあったとされています。
その後、この地はローマ帝国の政治と信仰の中心となります。
現在のローマの中心はフォロ・ロマーノを見下ろす位置にあるカンピドーリオの丘の上。
馬に跨ったアウレリウス帝の像(オリジナルはカピトリーニ博物館にあります。)が広場の中心に建っています。
このホームページでは、フォロ・ロマーノとリヴィアの邸宅などの遺跡があるパラティーノの丘、ローマ市庁舎とカピトリーニ美術館があるカンピドーリオの丘とヴェネツィア広場界隈を含んでいます。
ムッソリーニが遺跡の上にひいてしまった道路、フォリ・インペリアーリをはさんだトライアヌスの市場などもこのエリアに入っています。
コロッセオもお隣ですが、ここではチェリオの丘とサン・ジョヴァンニ界隈にあります。
古の世界の都、Caput mundiを見てまわるならこのエリアです。
このエリアの最寄りの駅
メトロB線 コロッセオ駅、チルコマッシモ駅
お散歩INDEX
- 時間がない人におすすめ。フォロ・ロマーノをショートカットで眺める。
- ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂
- ヴェネツィア広場
- ヴェネツィア宮殿
- トライヤヌスの市場
アヴェンティーノ 記事数: 12
アヴェンティーノ
トレヴィの泉とクイリナーレの丘 記事数: 2
トレヴィの泉とクイリナーレの丘
ローマを訪れたことのある人ならたいていが知っているトレヴィの泉と大統領府のあるクイリナーレ界隈をここではまとめておりますが、地図上ではとても近いですが、高低差はものすごいですので、順番を間違えると、へとへとになりながら坂を上ることになります。
近くにはローマの歴史的地区では最初のショッピングモール、ガッレリア・アルベルト・ソルディが2003年にオープンし、日本でもお馴染みののブランドが入っています。
この界隈には他にもショッピングが楽しめるお店が並んでいます。
このエリアの最寄り駅
メトロA線 バルベリーニ駅、スパーニャ駅
お散歩INDEX
チェリオの丘とサン・ジョヴァンニ界隈 記事数: 0
スペイン広場からポポロ広場まで 記事数: 1
パンテオンからナヴォナ広場へ 記事数: 3
ヴァチカン市国とボルゴ、プラーティ界隈 記事数: 6
カンポ・ディ・フィオーリ界隈 記事数: 1
トラステヴェレ界隈 記事数: 14
テスタッチョとオスティエンセ界隈 記事数: 1
ローマの台所、ロマニスタの聖地、テスタッチョ
ローマの台所といわれるテスタッチョは庶民的な雰囲気の中に
個性的なセレクトショップやクラブが入り交ざった面白いエリアです。
閑静なアヴェンティーノの丘の麓になりながら、マルモラータ通り(Via della Marmorata通り)を境に
まったく雰囲気の違うエリアに。
テスタッチョはラテン語でテスタキウスという陶片の山。
古代ローマ時代にはこのエリアのテヴェレ川添いに大きな港がありました。
そこで荷揚げされたオリーブオイルやワインが入った壷、アンフォラが
輸送の際に割れてしまったものの破片というわけです。
また、カルチョ(サッカー)ファンのロマニスタにとっては、ASローマ生誕の地。
筋金入りのロマニスタが出入りするASローマクラブがあります。
かつての家畜の屠殺場はリノベーションされて現代美術館となっています。
美術館の建物に「冷蔵棟」などの表示が、精肉場であったことを物語っています。
夕方になると、観光名所にいる馬車がいっせいにこのエリアに帰ってきます。
どうやらこの近辺で眠っているようです。
このエリアのお散歩コース
オスティエンセ界隈
オスティエンセ界隈は、ローマの近代化を支えてきた工業エリアです。
工業地帯としての名残が今日でもみられます。
また、ローマの二人の守護聖人のひとり、パウロのお墓の上に建った、
ローマ4大バジリカのひとつ、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂があります。
サン・パオロ門から南にまっすぐ伸びるオスティエンセ通りは、
旧アッピア街道のやノメンターナ街道とおなじように、古代には墓地が並んでいました。
聖人パウロがここで眠っているのも墓地のエリアだからです。
ペテロが祀られたヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂はルネッサンス、バロック期に
大改修されているので当初の姿とは大きく変わっていますが、
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は大火事で焼け落ち、
修復された姿ではありますが、パオロたちの時代である初期キリスト教様式の
バジリカの姿を今日に伝えています。
オスティエンセ通りの西側にはかつての工業エリアがあり、
かつての火力発電所が、カピトリーニ美術館別館のモンテマルティーニ美術館として
火力発電所のタービンと古代ローマ彫刻が並ぶという、おもしろい美術館になっています。
また、オスティエンセ通りの東側にはガルバテッラという地区が広がり、
ローマ近代化の時代にイタリア中から集まった労働者とその家族のための住宅が遺っています。
折衷様式とでも表現する、独特のスタイルの低層住宅やパラッツォが並んでいます。
リノベーションされたエリアとして、ディスコ、クラブなどが夜になると姿を現します。
フィウミチーノ空港からでるローカル線のFR1のオスティエンセ駅、
オスティアの海にいつながるローマーリド線のポルタ・サン・パオロ駅、
メトロB線のピラミデ駅、どれも駅名は違いますが、乗り換え駅です。
B&Bや短期滞在アパートなどもあり、欧米の人々はこの辺りに宿をとる人が結構います。
このエリアの最寄り駅
メトロB線 ピラミデ駅、ガルバテッラ駅、サン・パオロ駅
FR1線 オスティエンセ駅
オスティアーリド線 ポルタ・サン・パオロ駅
このエリアのみどころ
ローマの守護聖人のひとりパオロが眠四大バジリカのひとつ、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂
かつての火力発電所、モンテマルティーニ博物館(カピトリーニ博物館別館)
郷愁をさそう不思議な空間、ガルバテッラ地区
ピア門からノメンターナ界隈 記事数: 0
ピア門からノメンターナ界隈
ピア門はミケランジェロが手がけた最後の建築といわれ、またこの門は
イタリア統一運動の時に、ローマに軍隊がここから進入したとして記念碑的な門である。
実際は門から数十メートルの壁を壊したのであるが。
この門からまっすぐ伸びるノメンターナ街道沿いには現在では豪奢な集合住宅が並び、
またこの界隈には大きな公園も点在し、緑が多いエリア。
街道沿いには古代ローマの法に則って、壁の外ということで
地下共同墓地があり、まれに廟を見ることもある。
ローマにとってテヴェレともうひとつ大切な川、アニエネ川が流れているのもこの界隈で、
湧水から飲料水を購入することもできる。
折衷様式とも後期ゴシック様式ともとれる、一風変わった建築群も見ることができる。
公園が多いので、美術館がてら、空の下でランチをとるのもおすすめ。
■このエリアの最寄り駅
■お散歩INDEX
- ミケランジェロの最後の建築作品とも、ピア門
- イタリア合理主義建築で優美な曲線を描く建築、マリオ・リドルフィのノメンターノ郵便局
- カタコンベもある、聖アグネスが祀られたサンタ・アニェーゼ・フオーリ・レ・ムーラ教会
- めずらしい円形の教会、サンタ・コスタンツァ教会
- ユダヤ人の地下墓地があったトルローニア公園
- ムッソリーニが逮捕されるまで住んでいた家、貴族の館
- トルローニア家の王子のための家、王子の館
- 山小屋風の不思議な家、フクロウの館と民芸美術館
- ホラー映画の舞台にもなった不思議な一角、コッペデ地区
- ベルニーニ、カノーヴァの彫刻を崇めに、ボルゲーゼ美術館
- ビール工場の跡地が現代アート美術館になった、MACRO現代美術館
フラミニオ 記事数: 0
かつてヨーロッパの人々がローマに旅するときはポポロ広場の北にあるフラミニオ門からローマに入った。
門をくぐって真っ先に見えるのは通称、双子の教会。
フラミニオ門からまっすぐ伸びるフラミニア街道はミルヴィオ橋でテヴェレ川を渡る。
ここで旅人はローマに別れを告げたそうだ。
古戦場としても有名なこの橋も、ここ数年は恋人たちの聖地になっており、
南京錠ールケットが誓いとしてかけられている。
南の庶民的なエリアに比べてピエモンテ風の装飾の多い大きなパラッツォが並んでいる。
最近ではザハ・ハディドの国立21世紀美術館がオープンし、すでにあるレンゾ・ピアノの音楽ホールなど、
現代建築、またイタリア合理主義の建築が見ることができる、ちょっとした建築ミュージアムエリア
となっている。
トゥスコラーナとチネチッタ 記事数: 0
トゥスコラーナ通りはサン・ジョヴァンニ門につながるアッピア・ヌオーヴァ通りにつながり、ローマの南郊外まで続く長い通りです。
メトロA線の Porta Furba(ポルタ・フルバ)駅から、A線はこのトゥスコラーナ通りの下を通っています。
映画の街ローマの象徴であるチネチッタや、カステッリ・ロマーニを背景に古代ローマ水道の遺跡を堪能できる公園、
さらに終点のAnagninaからはローマの南の街につながる中距離バスの大きなターミナルがあります。
地元市民もたくさん住んでいるエリアで、通り沿いにはイタリアを初め、スペインやフランスのファストファッションの路面店も多く並んでいます。中心より空いているのでゆっくりお買い物できるかもしれません。
アッピア旧街道周辺 記事数: 0
テルミニ界隈とエスクィリーノの丘 記事数: 1
E.U.R. エウル 記事数: 0
1942年に予定されていたローマ万国博覧会の開催のために計画された街。
ローマ万国博覧会、Esposizione Universale di Romaの頭文字をとってEUR, E.U.Rと書いてエウルです。
当時はE42とコードネームのような名前でした。
結局は第二次世界大戦の戦況の悪化により万博は中止され、工事が中断されたものもありましたが、
その後、その時代に見合った用途のオフィスビルとして生まれ変わりました。
このエリア一帯もオフィスエリアになっています。
イタリア合理主義建築ミュージアムのようです。
どこかシュールレアリズムな雰囲気が漂う街です。
マッシミリアーノ・フクサスをはじめ、現代建築家のプロジェクトも進行しています。
また、イタリアで桜が見たくなったらエウルで。姉妹都市東京都から贈られたものだそうです。