1871年、統一イタリアの首都となったローマは、近代ヨーロッパの新しい首都として、
宗教とは一線を画した、科学の力を集約させた都市を目指そうと、養魚の専門家のピエトロ・ガルガニコをコモより招聘します。
また、この頃、ブルジョワがエククィリーノに移り住み始めたのを機に、このエリアに新首都ローマの心意気の表れである科学施設である水族館をつくることにしました。
建築家エットーレ・ベルニッヒは「ローマらしい」折衷様式の建築というコンセプトのものとに、アーチと円形競技場に着想を得たモニュメンタルな設計デザインとしました。
細部には水族館らしく、レリーフには海の生き物を施し、階段にはローマ神話の海の神のネプチューンのアイテムである銛をデザインモチーフに使いました。
建物の内部の壁画にも見られるように、この建物と同じ頃、やはり記念碑的な建築がローマに建てられています。
フォロ・ロマーノを背に、ヴェネツィア広場の前にそびえるヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂です。
どちらも新生ローマの象徴的な建物です。
しかし、水族館としてこの建物が使われたのはわずか十数年のことでした。