coppede-iconeトラムや車が行き交うにぎやかなレジーナ・マルゲリータ通りとサラーリア街道が交差する辺りで一本道を入ると不思議な空間に出会います。
それが典型的なローマの街並みではないから不思議と表現されるのではなく、

例えばよく様式で表現される建築ですが、その表現をしようがない建築群で、おそらくどこの街に存在しても

不思議な空間に感じると思います。

 

 

 





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コッペデ地区と呼ばれるこの独特の一画は、フィレンツェの建築家、ジーノ・コッペデにより

1900年代のはじめに設計されました。ローマがイタリア統一後の首都として、このエリアに生まれるあらたな地区との境として、新しい居住エリアを誕生させる意図により計画されました。

このエリアに入るには、まず、ドーラ通りから、シンボリックなアーチをくぐってミンチョ広場に立ってみて下さい。

見渡す建物がコッペデ・スタイルと呼ばれる独特の建物の表情をもっています。
同時代に、このスタイルとは対極にある、合理主義建築がローマの街中に誕生しているのは興味深いことです。
建築としてのスタイルを持たない、あるいは表現できないのは、コッペデが建築家というより、職人と表現されていることに見出せるかもしれません。
このプロジェクトを手がけたときはすでにジェノヴァの実績により、国内で名声はありましたが、新生イタリアの首都、そして長く教皇統治の影響下にあったローマでの仕事は容易でなかったようです。
このプロジェクトにあたりコッペデが求められたものは、「ローマらしさ」
トスカーナに生まれ育ったコッペデなりのローマらしさの追究がこのコッペデ地区につまっています。

ヨーロッパの他との都市と比べて、30年遅れていたとされるローマの文化ですが、
このコッペデ・スタイルの建物はローマのリバティを語るときにしばしば登場します。
職人的と呼ばれるコッペデにして、ローマのリバティに登場するのは当然かもしれません。

900年代に様式をもたなかったイタリアの建築界で、唯一のしかも本人の名前を冠した様式といえます。
ときには折衷様式、新中世様式とも表現されるコッペデ地区です。

しかし、スタイルという言葉に無理やり当てはめるよりも、後に「ドラキュラの館」と表現されたり、ディズニーランド的と表現されたり、ダリオ・アルジェントがそのそのデビュー作「喜びの毒牙(L'uccello delle piume di cristallo)やインフェルノ(Inferno)のシーンで使った場所と表現した方が、このエリアの雰囲気が伝わりやすいかもしれません。

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エリアの個々の建物は別のところで。

妖精の邸宅
蜘蛛の館
大使館の館
蛙の噴水


■ コッペデ地区
Quartiere Coppede'

Via Dora

トラム(今はバス) 3番など

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